人が集まるところには争いがつきものです。
しかし、教会という場所ではその真逆のことが起こります。
歩み寄りや謝罪、そして和解が生まれるのです。
それは、イエス・キリストが平和を与えるお方だからです。
イエスさまの十字架の愛を信じるとき、自分が神さまに赦され、愛されていることがわかります。
その愛と平安が、私達の対人関係にもどうしても影響してくるのです。
怒ったままではいられないし、わだかまりの中に相手を放置することができないのです。
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、その名は
「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」
と呼ばれる。
イザヤ9:6