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1/6吉備教会礼拝説教「朝明けには喜びの叫びが」 ルカの福音書1章67-80節/カオリンのレスポンスノート

吉備教会の青年による、まとめとコメントです。

「朝明けには喜びの叫びが」 ルカの福音書1章67~80節
 

「さて、父親のザカリヤは聖霊に満たされて預言した。
『ほむべきかな、イスラエルの神、主。主はその御民を顧みて、贖いをなし、
救いの角を私たちのために、しもべダビデの家に立てられた。
古くから、その聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。
この救いは、私たちの敵からの、私たちを憎むすべての者の手からの救いである。
主は私たちの父祖たちにあわれみを施し、ご自分の聖なる契約を覚えておられた。
私たちの父アブラハムに誓われた誓いを。
主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる。
私たちのすべての日々において、主の御前で、敬虔に、正しく。
幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、
罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与えるからである。
これは私たちの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、
暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。』
幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に現れる日まで荒野にいた。」
ルカの福音書 1章67~80節

 

 過去を振り返ることは、もう必要ない。
 新しいことが起きようとしている。
 夜明けを確信して生きていこう。
 後ろを見ながら生きる必要はない。
 
 ザカリヤは御使いに言われたように、生まれた子どもの名前をヨハネという名前にした。
 そのときにザカリヤの口が開かれた。
 
 みことばに聴き従うことによって何が生まれるのか。
 みことばに聴き従うことで賛美を生み出す。
 ザカリヤの口から出てきたのは賛美だった。
 みことばに聴き入る人には平安があり、希望がある。

「さて、父親のザカリヤは聖霊に満たされて預言した。
『ほむべきかな、イスラエルの神、主。主はその御民を顧みて、贖いをなし、
救いの角を私たちのために、しもべダビデの家に立てられた。』
ルカの福音書 1章67~69節

  
 ザカリヤは聖書に書かれていることにしっかり立っている。
 聖書のことばが実現する、その目前に来ているんだと喜びに溢れている。
 
 聖書に出てくる神様の本質。そこには2つの性質がある。
 ⑴誠実
 ⑵あわれみ

この「誠実」と「あわれみ」の神様が与えてくれる救いが十字架の救いである。

⑴誠実
 約束を守る愛のこと。
 神様は愛そのもののお方で、一度約束したらその約束は変えない。
「『主は私たちの父祖たちにあわれみを施し、ご自分の聖なる契約を覚えておられた。
私たちの父アブラハムに誓われた誓いを。
主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる。』」
ルカの福音書 1章72~74節

 神様は遥か昔、アブラハムに約束を与えてくれた。それは「あなたとあなたの子孫は増え、神の民となる」という約束。アブラハムは神様からの約束を信じた。

 アブラハムは神様を信じたけれど、その子孫はどれくらい神様を裏切ってきたことだろう。
 驚くべきことに神様は一度した約束を忘れることはない。
 救いの手を伸ばし続け、見捨てない。
 人類が神様を裏切ろうともそれでも救おうとされる。
 私たちが不誠実でも、神様は誠実な方。
 私たちの神様は誠実な方である。

⑵あわれみ
「『これは私たちの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、
暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。』」
ルカの福音書 1章78~79節

 「深いあわれみによる」直訳で内臓、腹わたという意味が含まれる。
 神様があわれむときは、軽いものではない。
 腹わたが耐えられないほどのあわれみ。
 親が寝ても覚めても子を想う愛にもまさる思い。
 たとえ子どもが親を悲しませることをしても、それでも愛することをやめられない。そういう神様の想いが現れている。
 聖書に書いている神様はあわれみの神様。

 ここから一番大事な性質を知ることができる。
 それは、愛。
 この世の中に愛はたくさんあるが、神様の愛は一回約束したら永遠に変わらない。愛の神は「誠実」と「あわれみ」の神。

 誠実とあわれみの結果として、人類に差し出される十字架の救い。

(3)十字架

「『幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与えるからである。』」
ルカの福音書 1章76~77節

 ザカリヤとエリサベツから生まれたヨハネは救いを真っ直ぐに指し示す働きをすることになる。
 救いとは罪が赦されること。赦すのが救い。
 そういう知識を持つようになる、と言われている。

 罪というのを曖昧にしてはいけない。
 罪を曖昧にする人は心に平安は来ない。
 曖昧にしないで罪を認よう。
 自分は罪人だと認めていい。なぜなら、その先に十字架の救いがあるから。
 

 ひとり子イエス・キリストが私たちのことを救ってくれる。

 私たち一人一人のこの一年は神様の恵みが待っている。豊かに希望を持って生きるべき。
 いつであっても、私たちはさらに明るくなる。そういう人生を神様は与えたいと思っている。

 ザカリヤには生まれてきた赤ちゃんがしるし。
 私たちにとってのしるしとは、みことばとみことばの実現の経験。
 みことばを大切に受け止めよう。

 だからもう、過去のものを引きずって生きるのは必要はもうない。

「まことに御怒りは束の間いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。」詩篇 30篇5節

 私たちは夜明けを生きる民。
 イエス・キリストと生きるなら暗闇と絶望の日はこない。罪も悲しみも支配しない。
 みことばをそれぞれに握って行く。

 みことばがさらに明るいところへと導いてくれる。
 この方の愛の中で、賛美しつつ新しい一年に向かって行く。

〈コメント〉
 今日のみことばに感謝します。
 一年が過ぎ去り、また新しい一年がやってきました。
 昨年の私は、過去を思わなくてもいいとわかっていても、過去のことを振り返り、過去のことばかりを気にしていることが多くありました。
 ですが、今となっては過去のことを振り返らなくてもいいと聞き、とても楽です。

 過去を気にしなくてもいい、もう前だけを見ていればいい。
 私たちの前を歩まれているのはイエスさまだから。イエスさまを見ていればいい。
 新しい一年は何が起こるのか全くわからないけれど、みことばを握りしめ、期待と希望を持って歩んでいく。そう思えていることが、すごく嬉しいです。

 感謝と恵みに溢れた一年は過ぎ去りましたが、また昨年よりも感謝と恵みに溢れた一年がやってくる。これからの日々が待ち遠しいですね。

 イエスさまがいのちを与えるためにこの世に来られたように、私もいのちを与える働きに加えていただきたいと思わされた時でした。

 愛する兄弟姉妹と共に礼拝できる今日を感謝します。

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