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10/14午後 津山教会礼拝説教「主を恐れることは知識の初め」 箴言1章7節/カオリンのレスポンスノート

吉備教会の青年による、まとめとコメントです。

· 今日の聖書

午後の津山聖約キリスト教会礼拝にて

「主を恐れることは知識の初め」 箴言1章7節

 神様を知ることはその他の知識よりも優先される。神様を知っているか、知っていないかで人生が変わる。
 聖書は神様がどのような方か豊かに記している。神様を知っているかで人生の価値が変わり、生きる豊かさが変わる。

 「主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」箴言 1章7節

 「主を恐れる」。なぜ「知る」と書かれていないのか。それは神様は途方も無く偉大な方であり、この方を知るなら畏敬の念を覚えずにはいられないから。

 では「主」とはどういう方なのか。
 聖書から3つの神さまのご性質を挙げたい。


①恐るべき造り主
 

「はじめに神が天と地を創造された。」創世記 1章1節
 

 神様が天と地を造られた。そして私たち一人一人のいのちとともに、万物を造られた。
 私達がこうして呼吸できるということがすでに奇跡的である。そういった環境が神様によって備えられており、大きな御手の中で生かされている。
 さらに人は神の形に似せられて造られた。人間は神様の最高傑作のひとりひとりである。
 神は万物を造られ、私たちを造られ、生かし、また私達と出会ってくださる。
 神様のことを知ると、私自身のことを知ることができる。自分も素晴らしい存在であることを知る。
 神様は私たちのすべてを把握することができる。それは、私たちの心の中にあるものを把握する。隠れた悲しみも神様は全部知ってくださっている。
 神様は、天にも地にも満ちている。この恐るべき造り主に包まれ、造られ生かされている。
 だからこそ、この地上において私たちを恐れさせるものは何1つない。

②恐るべき聖さ
 神様という方は何一つ汚れのない方。


「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た。その裾は神殿に満ち、セラフィムがその上の方に立っていた。彼らにはそれぞれ六つの翼があり、二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでいて、互いにこう呼び交わしていた。

『聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満ちる。』
 その叫ぶ者の声のために敷居の基は揺らぎ、宮は煙で満たされた。
 私は言った。『ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから。』」イザヤ書 6章1~5節

 イザヤは幻の中で神様を見た。
 「聖なる」と3回繰り返される。これは、この方の聖さが完全であるということ。イザヤは聖なる神様を見てしまったことで、自分はここで死ぬんだと思った。なぜなら、罪人と聖なる方は同じ所には立てないから。
 この神様の聖さを恐れなくてはいけない。
 決して馴れ馴れしく、近寄ることのできない方。すべてを把握される神様の前では、隠し事をすることはできない。
 「聖なる、聖なる、聖なる」方を礼拝する人は、心にあるものをすべて告白し、キリストの救いによって赦されなければならない。

 恐るべき聖さを持っている方を知るとき、私たちも聖さへと導かれる。

③恐るべき愛
 この方の愛は大きすぎて、私達の心に収めることができない。
 神は私達を特別に造ってくださったゆえに愛してくださっている。同時に、すべてを把握される方であるがゆえに、私達の罪をもすべて見抜かれる。

 そして、驚くべき愛の手段で、私達の罪を始末された。

 神が人となって来てくださり、十字架で死んでくださった。
 私達の罪のために・・。

 この恐るべき愛を全身で受け止めていこう。
 この十字架によって私たちの罪は清められる。
 

 私の罪を打ち明け、十字架によって赦され、主を恐れることを正しく知り続けよう。そうすることで、人生は重みを増し、豊かになっていく。


 神様を知ってるか、知らないかで、人生は変わる。
 「主を恐れる」ことを知ったのであれば、人生は豊かになっていく。

「主を恐れることは知識の初め。」
 

 主を知ることを第一にしよう。
 神さまもまた、私達を第一にしてくださったのだから。

「だが今、主はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。

『恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
わたしはあなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。』」イザヤ書 43章1~4節


 全地をを造られた方があなたの名を呼んでいる。国々よりも「あなた」という存在は重い。この方の恐るべき愛の大きさを今日も知るものでありたい。