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10/21吉備教会礼拝説教「教えが確かであることを」 ルカの福音書1章1-4節/カオリンのレスポンスノート

吉備教会の青年による、まとめとコメントです。

· 今日の聖書

「教えが確かであることを」ルカの福音書 1章1〜4節

 

 聖書の中の福音書は、イエス・キリストの生涯を伝えてくれる書物。聖書が人生の土台にふさわしい、確かな書物であることを今日の箇所では書いてある。

 

「私たちの間で成し遂げられた事柄については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人たちが私たちに伝えたとおりのことを、多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。」ルカの福音書 1章1~2節

 

 紀元60年くらいにルカの福音書は書かれた。
 この頃は、イエス様を目の当たりにした人たちが数多くいた。
 「みことばに仕える者となった」と書いてあるが、イエス様を目の当たりにした人たちは、イエス様のことを知っただけではなく、みことばを伝える者となった。ということ。

 初めからの目撃者であり、イエス様をつぶさに見た人たちがたくさんおり、この方が救い主、神の子であることを知った。

 

 まず、第一に覚えておきたいことは
 「聖書は目撃者の証言である」ということ。
 この世の中は矛盾があり、疑ってしまうようなことがたくさんある。その中で生きている人々はキリストまでも疑ってしまうことがある。
 でも、本当の聖書の言葉に触れたら、このみことばこそが確かであるということを知る。
 確かな真理がここにあることを聖書で知る。

 

 この福音書を書いたルカ自身は使徒パウロと共に宣教旅行をした。ルカは分かっていた。自分が書こうとしているものを何よりもまず正確でないといけない、ということを。

 

「私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。」ルカの福音書 1章3節


 福音書に続く使徒の働きもルカが書いた書物であり、使徒の働きでもルカは綿密に書いている。
 神様のことを書くのであれば、正確に書かなくてはいけない。
 なぜなら、私たちの神様は曖昧や脚色を嫌われる方であり、みことばに混ぜ物や書き換えることをも嫌われるから。

 

「神のことばは、すべて精錬されている。神は、ご自分に身を避ける者の盾。
神のことばに付け足しをしてはならない。神があなたを責めて、あなたが偽り者とされないために。」箴言 30章5~6節

 

 聖書自体が付け足しや書き換えを禁じている。だからこそ、一文字でも間違えてはいけない。正確に書き写さないといけない。

 

 正確に書かなければいけない理由が2つある。
 1つは、神様が禁じているから。
 もう1つは、彼らが迫害される危険の中にあったから。


 当時、ここに書かれている内容のために、クリスチャンは命をかけないといけなかった。ルカは人々がこの書物に書かれていることで人生をかけるんだということを知っていたので、その記述にはわずかな偽りでもあってはいけなかった。
 

 だからこそルカは、イエス様ご自身についての目撃証言を丁寧に取扱、祈りつつこの福音書をまとめた。

 

「それによって、すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたによく分かっていただきたいと思います。」ルカの福音書 1章4節

 

 当時のクリスチャンは「教えが確かであることを、よく分かる」必要があった。
 なんとなくの信仰では生きていけない。死の先の天国を見つめて生きていく必要があった。
 

 それは、今も生きる私たちも同じ。
 みことばに人生をかけているから。キリストに生活をあずけているから。
 みことばの確かさを知ることで、岩の上に信仰を立てあげることができる。

 

 イエス様がしてくださったことが一つ一つ書き記されている聖書がある。

 テオフィロという人は口伝で聞いていた。口伝だと、言い伝えの過程の中で、次第にことばが変わっていく。けれど、言葉はひとたび書き記されると、その時から永遠に変わらない。これが言葉の力である。

 

 だからこそ、ルカは福音書を書く必要があった。キリストの直接の目撃者が数多く生きている内に。
 私たちは2000年を経った今も、変わらない言葉を読むことができる。
 キリストがこの地上に来てくださったこと。すべての人を愛されたこと。十字架に架かってくださったこと。3日目によみがえってくださったこと。
 

 ルカは、この神様の愛をどうしても伝えたかった。そして、この福音書が書かれた。

 

 今の時代に聖書があることを感謝しよう。

 日々聖書が私たち自身に語りかけてくださっている、そのみことばの上に人生を預けていこう。

 

〈コメント〉
 みことばを感謝します。
 日々神様からみことばをいただいて、自分が神様の愛によって生かされていることを思います。
 最近、1年前に書いたノートを見返しておりました。そこには辛い時や悲しい気持ちが書き記されていました。でもそこにはいつもみことばがありました。今の私がここにいるのは、みことばによって生かされているからこそ、なんだなーって思わされました。
 自分がどんな状況であろうとも、神様はいつまでも変わらず、愛を注いでくださり、私を見放さず、ここまで導いてくださいました。
 ここまで導いてくださいましたが、これがこれからも続くんだなと思うと嬉しくなります。

 みことばは永遠に変わらない。
 変わらないそのみことばを日々受けとめながら、これからも神様と共に歩んでいくものとなりつづけていきたいです。

 

「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。
『人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
しかし、主のことばは永遠に立つ』とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。」ペテロの手紙 第一 1章23~25節

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