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10/7礼拝説教「真実な方を知る理解力」ヨハネの手紙 第1 5章18-20節/カオリンのレスポンスノート

吉備教会の青年による、まとめとコメントです。

· 今日の聖書

「真実な方を知る理解力」 ヨハネの手紙 第1  5章18-20節

 私たちはどうしようもない罪人。
 しかし、イエス・キリストを知ることができた。神様を知ることができた。

 今日の3つの節にそれぞれ「知っています」という言葉が出て来る。
 ギリシャ語の聖書で、3つの節はそれぞれ「オイダメン(私達は知っている)」という言葉から始まっている。
 

 では、私たちは何を知っているのだろうか。

「神から生まれた者はみな罪を犯さないこと、神から生まれた方がその人を守っておられ、悪い者はその人に触れることができないことを、私たちは知っています。」ヨハネの手紙 第一 5章18節

 1つ目に、私たちは罪から守られていることを知っている。

 今、私たちがここにいる理由。それはイエス様に守られているから、ここにいる。
 世の人たちにとっては、教会の敷居は高いと言われる。でも、教会の敷居が高いのは当然のこと。なぜなら、神様は聖なるお方だから。
 聖なるお方である神様に近づくということは、果てしなく敷居が高い。
 

 ではなぜ、私たちは教会にくるのか。
 それは、イエス様が十字架にかかってくださり、私たちの罪を赦してくださったから。
 イエス様が救われた人を罪から守ってくださる。
 私たちはよく失敗し、よく罪を犯す。しかし、何度でも悔い改め、イエス様の愛に赦されてここに戻ってくる。
 サタン(悪魔)は私たちを二度と罪の奴隷にすることはできない。なぜなら、イエス様が共にいてくださるから。
 イエス様の愛が注がれていると罪に違和感を感じる、そういった体質になっていく。

 私たちは誘惑に負け続けることはない。
 イエス様が手を引いて、神様の光の方へと私たちを導いてくれる。イエス様が守ってくれる。

 では、イエス様はどういう風に私たちを守ってくださるのか。
 それは「取り囲む」守り。

「というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。」コリント人への手紙 第二 5章14節

「主よまことにあなたは正しい者を祝福し大盾のようにいつくしみでおおってくださいます。」詩篇 5篇12節

「そして、エリシャは祈って主に願った。「どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。」列王記 第二 6章17節

 イエス様の愛、神様の愛は私たちの全身を守ってくださっている。
 聖書は繰り返し、取り囲む守りを言っている。
 これは私たち全員に当てはまること。
 神の軍勢が取り囲んで守ってくれる。だからサタンは私たちをどこにも連れていくことができない。
 私たちは弱くて小さいが、イエス様の愛に守られているので聖なる光へ導かれ、礼拝できる。
 この恵みを知っていることを感謝しよう。

「私たちは神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にあることを、私たちは知っています。」ヨハネの手紙 第一 5章19節

 2つ目は、この世界は罪の世界であり、私たちは神様の世界に生きていることを知っている。

 この世界は罪の世界である。私たちはこの世界で生まれ、育った世界からよく知っている。この世界ではお金、欲、自己中心がいつだって人々を支配していく。
 しかし、イエス・キリストを知ったとき、この世界に住んでいるけれど新しく生まれた。
 罪の世界ではなくて、神様から生まれ、神に属するものとなった。

 私たちはこの世界に出て行くが、イエス様の愛によって取り囲まれている。私たちは神様の国を生きている。

 私たちは数が少なくても、確かに存在しており、この世界の救いに貢献できる。
 私たちは世の悪に流されないように戦い、疲れた、弱々しい生き残りなどではない。
 祈りとみことばによって世界を変えて行く存在。
 私たちは弱いけど、力強いイエス様が私たちを取り囲んでいる。

「また、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことも、知っています。私たちは真実な方のうちに、その御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」ヨハネの手紙 第一 5章20節

 3つ目に、私たちはキリストご自身を知っている。
 キリストを知っている事実。それは私たちに限りない支えを与えること。

 聖書によって私たちにキリストというお方がわかった。
 聖書を読む時、聖書の話を聞く時、聖霊が働いてくれることによって、「理解」するようになる。
 キリストのことがわかるようになる。
 キリストを「知る」というのは交わりを持ち、人生を共有するということ。

 キリストの中で生きている。そういう意味での知るということ。
 

 「真実な方を知る理解力」というのは一言で言うなら、十字架の愛を理解した。ということ。
 「私のためにイエス様が十字架にかかってくださった」というのを理解することである。聖霊が働くことでこの恵みを理解することができた。

 私の罪のために死んでくださった。それがわかる時、キリストを知り、神様を知る。
 神様の愛の光によって、私たちのすべてを赦される。この「赦し」は全てを無罪、帳消しにしてくれる赦し。
 この愛を知った時、理解した時、神様の子どもになる。

 以上見てきたように、ヨハネの手紙では、クリスチャンにとって常識とも言える基本的なことがらを、手紙の締めくくりにあたって再確認している。

 私たちは、十字架のイエス様を知ることができた。真実な方を知ることができた。イエス様の愛に包まれ、赦され、世の人を救うために生きている。永遠の命を生きている。
 恐れずに、ここから出て行くこと。

 サタンは私たちを敗北者のように思わせる。しかし、私たちはイエス様の愛に包まれて生きている。
 

 恐れはおいて、大胆に祈ろう。
 今自分自身が怖がっていること、悩んでいることも、希望を持っていることを大胆に祈る。そして互いのために祈り合う。
 愛し合い、祈り合うものになっていこう。

〈コメント〉
 私に、当たり前のように与えられている恵みを感謝します。この恵みは当たり前ではない。
 でも、どこかで自分はこの恵みを当たり前のように思ってたところがあったな、と思わされました。
 じゃあ、どうしたら当たり前のように思うことがないんだろうと考えた時、もっとイエス様のことを知り、もっとイエス様のことを理解し、もっとイエス様の愛を感じることなんだな、と思いました。
 今よりも深く、イエス様のことを知りたい。知り続けていきたい、と思わされました。

 また、この世は罪の世界であること。この世界に出て行くのは、正直楽しいものではありません。家族と一緒にいたとしても、一人でご飯を食べているような感覚になったりもします。
寂しさであったり、しんどさを覚えます。
 でも、イエス様は共にいてくださって、そんな私を取り囲むように守ってくださり、いつも光の方へと手を引いて導いてくださる。だから私は、恐れずにこの世に出て行きたい。大胆に祈るものへと変えられていきたいと思わされました。

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