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11/25吉備教会礼拝説教「主のあわれみは代々にわたって」 ルカの福音書1章46-56節/カオリンのレスポンスノート

吉備教会の青年による、まとめとコメントです。

· 今日の聖書

「主のあわれみは代々にわたって」 ルカの福音書1章46〜56節

 これはマリヤの溢れる喜びの賛美の箇所である。
 マリヤは御霊によって神様について預言をしている。御霊が働く時、知性と感性が合わさって言葉が生まれてくる。

 キリストが自分の内に宿る。そのことを信じ、受け止めた時、歴史に残る賛美をマリヤは残した。

「マリアは言った。『私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。』」ルカの福音書 1章46~48節

 卑しい私。入れ物で言うなら土の器。
 土の器に過ぎない私に救い主が宿った。
 私の中にキリストが来てくださる。卑しい私たちを愛してくださるキリストを、マリヤは喜びに溢れている。

 くりすちゃんは、自分はこんなに喜んでいいのだろうか、と思う必要はない。

 クリスチャンの基本的スタイルはいつも喜ぶこと。
 

 この讃歌の言い回しの特徴として、文法的には過去形が使われている。

 つまり、これから起ころうとしていることをマリヤは先取りして、起こったこととして言っている。
 必ず起こることは、もうすでに起こったこととして書く。私達は、今を喜ぶだけではなくて、明日も喜んでいい。それが信仰者の生き方。

「『力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、
主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。』」ルカの福音書 1章49~50節

 力ある方が私たちに大きなことをしてくださる。この方が、私たちの人生に大きな御業をしてくださる。主の素晴らしい御業を私たちはこれから見続けよう。

 神様の名は聖である。美しいわざを神様はしてくださる。神様は聖い方なのだから、聖いわざを私たちに施してくださる。

 50節のことばを心にとめたい。

「そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。」ルカ1:50

 恐れかしこむ、それは神様に対しての正しい態度である。
 神様は天地を造られた方であり、唯一の方。
 神さまを自分の人生を「手段」にするのではなく、「あなたに全てを明け渡します」と祈ることが大切。

 私たちは神様の前に立つとき、一人の小さな罪人でしかない。私たちが神を恐れるなら、神様はあわれんでくださる。真実な愛で守ってくださる。この約束を人生の土台にしていこう。
 そこに祝福があり、愛がある。

 この真理は永遠に変わらない、と聖書が宣言している。全て神様が責任をとってくださる、と。

 神様に弱い私や卑しい私を見せよう。自分自身のつまらなさも隠さずに生きていこう。
 虚しい栄えで身を飾るのは、本当の強さではない。。

「神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。」
詩篇 51篇17節

 弱い私を明け渡す時、神様は蔑まれない。そういう人を神様は喜んでくださる。
 弱い私のために、だからイエス様は来てくれて、友になってくれた。

 本当の小さな私のままでキリストを迎える人は幸いな人。


「『主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。
飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。
主はあわれみを忘れずに、そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。』」ルカの福音書 1章51~55節

神様という方は義と愛のお方。
 51〜53節で義なるキリストが正しい裁きをすると言っている。

 イエス・キリストが来られる時、人間が作り出した不平等や虐げを打ち壊される。イエス様は正しい裁きをされる。

 主は心を見るお方。私たちの内に住んでくださる方は義なる方。その方を恐れ、あるがままに生きていこう。イエス様以外に恐れるべきものはない。

 また、このお方は愛の方である。
 54、55節には神様の誠実さが書かれている。
 神様はアブラハムにした約束をずっと覚えておられた。

 
 マリヤは「あなたはあれみを忘れない」と感動に溢れて、約束を守られる主を賛美している。

 神様の愛は、はじめの愛が最後までつづく。

 どんなに私たちが失敗しても、この方は常に誠実である。

「主は遠くから私に現れた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。』」エレミヤ書 31章3節

 永遠の愛をもって、わたしは愛した。このことばも私に対することば。
 イエス・キリストが私の内に来てくれる。
 その永遠の愛の中にいることを喜び、賛美しつつ歩んでいこう。


〈コメント〉

 みことばを感謝します。

 今日のみことばから、弱い私でいいのだと、つまらない私でいんだなって思いました。
 自分は何もできない者ではあるけれど、こんな私でも神様は目を留めてくださり、愛してくださっている。
 弱さを出したらいんだ、と思ったらとても楽です。
 そのままの私を愛してくださる神様をこれからも見続けて、永遠の愛の中で喜び賛美しつつ歩むものでありたいです。

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