ご高齢の方の洗礼クラスが今日もありました。
聖書のことばを大きな字で印刷しましたし、ふりがなも振っています。戦時中、勉強などできなかったし、戦後も紡績工場で働いたり、学問に触れることはできなかった方です。
聖書の教えは、彼女には難解なのでは、と誰もが思うでしょう。
しかし、イエス・キリストの教えの中心を彼女は確かに握っておられるのです。
今日は神さまがあなたを選んでくださった、という内容の学びでした。
その時彼女は、私が使わなかったことばを使ったのです。
「イエスさまの方で、名付けてくださったんじゃなぁ。」
名付ける、という表現に、「救いにおける神の主導性」「名を呼ぶ」「新しく造られる」という、救いに関する神学的な概念が豊かに含まれているように感じられて驚きました。
この方は、スラスラ聖書を読むことのできる一般的な読者に比べて、何十分の一もしくは何百分の一の量しか聖書に触れていないけれど、自分の存在を傾けて聖書の言葉を体験されているのだな、と知らされたことでした。
神さまと人との出会いの豊かさに、今日も静かに感動させられたことでした。