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8/12礼拝説教「愛の順番」ヨハネの手紙第1 4章18-21節/カオリンのレスポンスノート

吉備教会の青年による、まとめとコメントです。

· いい一日でした,今日の聖書

「愛の順番」 ヨハネの手紙第一 4章18-21節

 イエス様は私たちの内に住んでくださって、愛を注ぎ、人生を導き続けてくださっている。
 「人を愛せなかった」、という人生で終わらせることはない。愛を完成させるためにイエス様はいつも励まし続けてくださる。

「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。」ヨハネの手紙 第一 4章18節

 イエス・キリストが与える愛は恐れのない愛。全き愛。「締め出す」というのは外に放りだす、投げ捨てる、という意味。
 私たちが十字架の愛を受けとめる時、神様の御前に立つことができる。それがイエス様の救い。

 神様の愛の中にいるので、私たちはもう、死も、明日も、人も恐くはない。人を恐れる時は心にやましさがある時。その心のやましさは神様が始末をしてくださる。
 神様の前で平安でいるなら、恐れから解放され、愛のない生き方から自由になれる。

 愛は、キリストから来る。キリストの愛が私たちを無敵にする。私たちは愛することで勝つ。
 十字架でイエス様が勝利したように、私たちも愛することで勝つことができる。
 駆け引きやわだかまりから解放される。

 愛がきちんと最善を教えてくれる。イエス様は全き愛にまで私たちを導く方。
 

 自分自身で「私はここまで」と限界を決めてはいけない。なぜなら、私たちを造られた方が私たちを造り変えてくださるから。
 私たちは愛の人になれる。

 愛の人になるためには、「愛の順番」がある。

「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」
 ヨハネの手紙 第一 4章19節

 まず、神様が愛してくださったその愛を受けること。そうすれば私たちは人を愛することができる。

 イエス様は「わたしのところに来なさい」と言われるお方。

 私たちが自分の足りなさを感じる時、イエス様は「足りないのはあなたの力ではなく、わたしの愛が足りない。その愛の中にとどまりなさい」、そう言ってくださるお方。

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」ヨハネの福音書 15章9節

 1つ目の「愛の中にとどまる」ができてこそ、次の「互いに愛し合いなさい」という命令を受けとめることができる。

 イエス様が私たちを愛する愛は神様の愛。すなわち、父親がひとり子を愛する愛。かけがえのないわが子を愛する愛で「わたしもあなたたちを愛している」とイエス様は言われている。

 その完全な愛の中にとどまりなさいと。
 愛を受けること、受けとめ続けることが大切。
 「初めの愛」その愛でイエス様は私たちを愛し続けてくださっている。
 愛の中に身を置くなら、神を愛し、人を愛することができる。神様の愛を受けなければ、人を愛することはできない。
 神様を愛していると言って、人を愛せないのなら、それは神様の愛を受けとめていないということ。

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」ヨハネの手紙 第一 4章20節

 神を愛する人は人をも愛する。
 クリスチャンが、本当に神様の愛の中にいるのかは、他者を愛するという、目に見える形で証明される。
 イエス様の愛は、人への愛の実を結ぶことで完成される。イエス・キリストは、それが完成されるように愛を注ぎ続けてくださる。

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ人への手紙 5章5節

 溢れる愛と溢れる希望が注がれ続けている。
 十字架の赦しによって、私たちは神様との間に平安を得た。そしてキリストは聖霊によって、いつまでも愛で満たし続けてくださる

 
 私の力ではなく、キリストの愛が事を為してくださる。自分が主語になってしまうと、すぐに負けてしまう。
 人を愛せない時は、「愛せません」と告白をすること。自分の無力さを告白する人は幸い。
 それを告白すると神様が責任を取ってくださる。
 「互いに愛し合いなさい」というのは命令であると同時に、約束である。なぜなら、できないことを神様は言われない方だから。

「神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。」ヨハネの手紙 第一 4章21節

 神様を愛するけど、あの人は愛せないということはない。イエス様の愛は条件をつけたり、比較することない愛。その愛で人々と関わることができる。神を愛する人は、人を愛することができる。

 神様は、小さな方ではない。心の限界を決める必要もない。
 神様が「進め」というなら私たちは海をも越えることができる。そこに次のステップがある。

 私たちが愛する愛さないかが問題じゃない。みことばがなんと言われているかが問題。
 みことばが先立つのなら、愛に生きることができる。

 愛の順番とは人生を造り変える順番とも言えるだろう。。
 まず、はイエス様の愛の中にとどまること。
 次に、互いに愛すること。
1つ目をちゃんと守れば、必ず2つ目が実現される。

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〈コメント〉

 私はよく「自分の力でするんだ」とか「自分が愛するんだ」と思いがちです。
 そこでいつも負けてしまい「自分には愛がないなー」と思い、それで疲れてしまうことがよくあります。

 でもそうではなく、こんな私でも愛の人に神様が造り変えてくださる。私が愛するのではなく、イエス様が愛で満たしてくださる。
 自分の中にあるものを自分だけで抱え込むのではなくて、神様に全てを明け渡し、神様の愛にとどまること、を教えられました。

 私は自分の愛のなさを感じる時とてつもなく、自分が嫌になります。でもイエス様はそんな私でも愛されていて、かけがえのない、わが子を愛する愛で愛されている。
 イエス様の溢れるばかりの愛の中に身を置きたいと心から思いました。

 イエス様の愛で満たされて、私も愛の人へと造り変えていただきたい。

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