帰国してみると、幾人かの方から「ブログを読んでたよ」「行かないのに恵みをもらったよ」という声をいただきました。なので、“行かなかった人の恵み”をカオリンに書いてもらいました。どぞー。
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えーと、スウェーデンミッショントリップには行ってはいない、モリヤがお届けいたしまーす!
スウェーデンミッショントリップに行っていた間の日本での振り返りを書け、と斉藤先生から言われたので仕方なく書こうと思います。笑
でもまず、スウェーデンミッショントリップが最初から最後まで守られたことを感謝します。
送り出す側としても、結構不安な部分もありました。何か起こるんじゃないかとか、トラブルが発生するんじゃないかとか、安全に過ごすことができるのかとか、体調を崩さないだろうかとか。そんな不安がありましたけれども、そんなこともなかったようで、本当に感謝です!
一人一人の日記を読むのもとっても、楽しかったです。個性が文章から滲み出てて、自分自身スウェーデンには行ってないけれども、行った気分になり、うれしくなりました!
スウェーデンの青年と日本の青年が一緒に賛美している動画を見て、すごく感動しました!
こんな風に国を越えて、賛美して交わえることができるなんて、すごく幸せじゃないか!と私も幸せな気持ちにしてくれました。
でも、最終日がくるにつれて、行ってはいないんだけれど、私の方が寂しくなり「うわー、みんな寂しいよなー、もう帰ってくるんかー」と正直思いました。笑
とそんなことをスウェーデンミッショントリップのことを聞きながら感じておりました!
一人一人が今回行けたこと、そして送り出せたこと感謝です。
私は行った一人一人が何を見て、何を感じ、何を教えられ、何を思わされたのかはわかりません。でも神様は一人一人のことを知ってます。
今回味わったこの経験は、何にも変えられない恵みになるだろうなと思ってます。
だから、とっても私はうれしいのであります!
牧師不在の吉備教会では、祈祷会、聖書の夕べ、聖書のクラス、礼拝、交わり会などと一つ一つが守られました。
牧師がいない、と言ったら私は去年の無牧のことを思い出します。あの時はいつも不安がつきまとって、悪い方へと悪い方へと考えておりました。
でも、今回その期間を過ごして思ったことがあります。祈祷会の時にふと思ったのです。
「みことばは生きて働いているんだな」と。
牧師がいない間であったとしても、こうやって私たちは聖書を開き、みことばを味わっている。イエス様がこの中心にいてくださって、みことばへと目を向けさせてくださる。
聖書を開いて、みことばを味わう時。不安な気持ちや心配事があったとしても、自然と安心へと気持ちが変えられました。みことばの力強さと神様がともにいてくださることを感じた時でした。
去年であったら、素直にそう思うことができなかったかもしれない。でもみことばが私のうちで働いてくださって、こんな私でも成長させていただいてるんだな、と思いました。
いやーもう、スウェーデンミッショントリップ守られたし、こんな風に思わされる時が与えられるなんて…感謝しかない…!!
スウェーデンの教会の現状も斉藤先生から少しだけ聞きました。
詳しい事や教会内部のことは私は知りませんし、わかりません。でも、祈ります。
スウェーデンの人たちは祈って、日本に宣教師を送られたはずです。どういう人が救われて、神様を信じるのかわからないし、もしかしたらそういう人が現れるかどうかもわからなかったと思います。それでも大きな犠牲を払い、惜しみなく日本のためにいろんなものを与えてくださいました。
知らないから、わからないから祈らない。のではなく、知らなくても、わからなくても祈ること。
エバ先生たちは、スウェーデンのそういった現状がありながらも、日本にみことばを伝えに来てくださいました。
日本もスウェーデンの人たちに祈られているように、私もスウェーデンの人たちのために祈ります。この関係を、ここで終わらせたくはありません。私はスウェーデンには行ってはいないけれども、この日記を通しての出会いに感謝します。
短くていい、と言われたのに長くなってしまいました。笑
読んでくださった皆様感謝です。
スウェーデンミッショントリップも守られたこと感謝です。
吉備教会も牧師不在ではあったけれども守られて感謝です。
何よりも神様に感謝です。
素晴らしい時を与えてくださって感謝します。
スウェーデンの教会にも、そして日本の教会にも神様からの祝福がありますように。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」
テモテへの手紙 第二 4章2節