85歳の方の洗礼クラス。
大きな字で聖書のことばを印刷し、ゆっくりと大きな声で話させていただいています。
この方の不思議なところは、話してないことまで分かっておられること・・・。
今日はこんなお言葉がありました。
「私はむかし自分勝手に生きて、イエス様から着の身着のままで逃げたようなものです。でも、イエス様は、見つけてくれて、服を着せてくれました。」
こんなことを涙まじりに言われるのです。
私はエゼキエル書のみことばを思い出しながら聞いていました。
背信のイスラエルを、神さまが見つけて、愛で包んでくださる箇所です。
「わたしはあなたを水で洗い、あなたの血を洗い落とし、あなたに油を塗った。
わたしはまた、あや織りの衣服をあなたに着せ、じゅごんの皮の履き物をはかせ、亜麻布をかぶらせ、絹物でおおった。」
エゼキエル書16:9-10
彼女が旧約聖書のこんな(マイナーな)箇所を知っているとは思えません。
ただ、彼女が積み重ねてこられた人生の実感の中で、心情を描写したことばと聖書の表現が一致していることに、たびたび驚かされるのです。
賢さってなんでしょう。