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9/2礼拝説教「愛と命令」ヨハネの手紙第1 5章1-5節/カオリンのレスポンスノート

吉備教会の青年による、まとめとコメントです。

「愛と命令」 ヨハネの手紙 第一 5章1〜5節

 愛することはクリスチャンにとって、神様の命令である。命令ということは実行可能であるということ。神様はできないことを命令されない方。
 私たちの愛には限界がある。愛の限界のその先からは神様の出番。神様が一緒なら私たちは愛の戦いに勝つことができる。

 「互いに愛する」という命令は私たちが幸せになるための命令なのである。

「イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はみな、その方から生まれた者も愛します。
このことから分かるように、神を愛し、その命令を守るときはいつでも、私たちは神の子どもたちを愛するのです。」
ヨハネの手紙 第一 5章1~2節

 私たちが神様を愛し、命令を守るなら、神様から生まれている人を愛することができる。
 「イエスがキリストであると信じる者」は神様によって生まれたということ。イエス様を「神の子であり、救い主である」と信じる信仰によって新しい命を神様からもらった。新しい命とは、神様がその人の内に住んでくださっている。それを「神様から生まれた者」という。

 クリスチャンは皆、神様から生まれた者であるから神の家族であり、本当に兄弟姉妹なのである。これは素晴らしい恵み。

 「天のお父さん」と私たちが祈るとき、本当のお父さんに祈っている。それは神のひとり子イエス様が私たちのために死んでくださった。この驚くべき愛が分かった時から、永遠の愛の絆がそこにある。この恵みを握りしめて、教会の方々を見渡す時、私たちは愛することができる。教会の兄弟姉妹は神様から生まれた肉親であるから。
 

 私たちは神の家族である。イエス様の血が私たちの内に流れているから。

 私たちには同じキリストがいてくださり、共に喜び、一つになることができ、一つの故郷を目指して歩んで行くことができる。
 

 「互いに愛する」これは喜びの命令。
 神様の家族がますます一つになりなさいと言われているから。

「神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。」
ヨハネの手紙 第一 5章3節

 神様を愛するのであれば、命令を守る。命令を守るなら、神様の子どもを自然に愛することができる。
 でも、私たちは喜びの命令が重荷になってしまうことがある。しかし聖書は「愛し合う」ことは困難ではない。重くない。と言われる。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
  マタイの福音書 11章28~30節

 

 「わたし」、とイエス様は繰り返し言われる。
 イエス様は「わたしが一緒にいて、わたしがともに背負う」と言われる。イエス様が一緒にいて、愛を注ぎ続けてくださる。

 あなただけではなく、イエス様とあなたとで愛するということ。だからこそ、愛の命令は実行可能な命令。イエス様がともに愛してくださるから。イエス様が愛し合う方へと必ず導いてくださる。

 イエス様が「一緒に愛そう」と言ってくれている。私たちは、その招きに答えて愛し合う「決断」をしていく。この「決断」が大切である。

 相手を愛するという決断をすること。それはみことばに答えていくということ。イエス様が「愛しなさい」と言われることばが心に留まるなら決断をし、一歩を踏み出す。
 そうすることで、神様の子どもたちは、愛の戦いに勝つことができる。

 イエス様が私たちの罪のために十字架にかかってくれた。この世界が愛を否定しようとしても、ここに愛がある。

 

「神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」
  ヨハネの手紙 第一 5章4~5節

 

 自分自身がイエス様を神の御子と信じているか。その信仰が愛の戦いで勝利する。そして、ますます愛する決断していく。
 主のみことばにしたがって愛することの決断をするならば、生涯の友を得ることができる。


〈コメント〉
 今日のみことばを感謝します。

 私が相手を愛するのではなくて、イエス様と一緒に相手愛していく決断をする。

 最近、私は自分の愛の無さを感じることがありました。相手を愛そう、愛そうと思っても、無理で、話したくもなくて、逃げたくもなり、関わりたくないと思うことがありました。
 「私には愛せません、無理です。イエス様が愛してください。」とどこか投げやりに祈ってたこともありました。
 でも、今日のメッセージを聞いて、そういう風に祈ってたことがあったけれど、そうじゃないんだなと。「イエス様と私」とで愛していくんだな。と思いました。
 私がすることは「決断」だと。イエス様と一緒に愛していく決断。

 私の力では到底無理。でもイエス様が一緒にいて、ともに背負ってくれるのであれば、それは可能になっていくのだな、と思いました。

 正直、愛の戦いから避けたい気持ちがあります。けれども、私は神様の子どもとして新しく生まれたものですから、イエス様を信じて愛の戦いに勝利していく者となりたいです。

 今日も愛する兄弟姉妹とともに礼拝を捧げることができたことを感謝します。
 そして、神の家族と呼べることを感謝します。
 同じキリストを見つめ、共に喜び、一つになり、一つの故郷を目指して歩むことができますように。